タグ 満州事変
人気順 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 users中国の男児刺殺「数年前から、いつ起きてもおかしくない状況」
【読売新聞】 中国では今年、外国人が被害に遭う襲撃事件が相次いでいる。広東省深圳市で、日本人学校に登校中だった男子児童(10)が中国人の男(44)に刺されて死亡した事件が起きた18日は、満州事変の発端となった「柳条湖事件」(1931 続きを読む
肉弾三勇士を称える1932年の大騒ぎー当時を今に伝える菓子型で90年前の雰囲気をお伝えしようと…頑張りました…。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
肉弾三勇士を称える1932年の大騒ぎー当時を今に伝える菓子型で90年前の雰囲気をお伝えしようと…頑張りました…。 中国大陸の遼東半島や南満州鉄道に駐屯していた日本陸軍の関東軍が、1931(昭和6)年9月18日、謀略の盧溝橋事件を引き起こし満州事変が発生。関東軍は「邦人保護の必要最小限の出動」を繰り返して中国東北部... 続きを読む
満州に侵攻したソ連軍の集結地 落ちていた戦利品とウクライナの痕跡:朝日新聞デジタル
78年前の8月8日、日本の傀儡(かいらい)国家だった旧満州国(現・中国東北部)への侵攻を翌日に控えた極東旧ソ連軍が、モンゴル南東部に集結していた。調査団に同行して記者が現地を訪ねると、現在のウクライナと関わりの深い部隊の痕跡があった。 満州国 1931年の満州事変の翌年、関東軍(満州に駐留していた日本軍)... 続きを読む
宇都宮けんじ on Twitter: "ロシアのウクライナ侵攻はナチスヒトラーのポーランド侵攻や日本軍による満州事変などを思い起こさせるが、国際社会による批判が広がりロシアの国際的孤立が深
ロシアのウクライナ侵攻はナチスヒトラーのポーランド侵攻や日本軍による満州事変などを思い起こさせるが、国際社会による批判が広がりロシアの国際的孤立が深まっている。そしてロシア批判の中心にあるのがゼレンスキー大統領を中心とするウクライナ国民の命懸けの抵抗である。ウクライナに栄光あれ! 続きを読む
(天声人語)国連総会の孤独:朝日新聞デジタル
ウクライナ侵攻をめぐり緊急に開かれた国連総会では、ロシアの孤立ぶりが印象的だった。演説に立った各国の大使のほとんどから名指しで非難された。それでもロシアの大使の発言は「責任はウクライナの現指導部と西側諸国にある」だった▼戦前の満州事変のあと、日本の立場もかくのごときものだったか。日本軍は自作自演の… 続きを読む
《今日で満洲事変から89年》靖国神社“軍服コスプレ参拝”を始めたのは誰か調べてみた(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
毎年、終戦記念日となると話題になる、靖国神社の「軍服コスプレ」。同神社に批判的な者はもとより、肯定的な者にも、「英霊に失礼」などとあまり評判がよろしくないが、このような光景はいつはじまったのか。 【写真】この記事の写真を見る(6枚) 「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を... 続きを読む
信州戦争資料センター on Twitter: "昭和8(1933)年10月1日発行の雑誌「日の出」の付録「世界に輝く日本の偉さはここだ」。昭和8年と言えば、満州事変を受けて国連脱退しての正式脱退や海軍軍
昭和8(1933)年10月1日発行の雑誌「日の出」の付録「世界に輝く日本の偉さはここだ」。昭和8年と言えば、満州事変を受けて国連脱退しての正式脱退や海軍軍縮条約終了を控えて、危機だ非常時だと叫ばれていたころ。そんな心理を支えるのが… https://t.co/YAlekVjhdF 続きを読む
「戦争不拡大・反東条」を主張したカリスマ軍人・石原莞爾はなぜ“満州事変”を計画したのか | 文春オンライン
解説:天才か異端児か 石原莞爾が満洲で繰り広げた謀略の実態は? 現代の日本人が、70数年以上前の日本人にとって「満州」(現中国東北部)がどんな意味を持っていたのかを想像するのは難しい。戦争の結果を見れば、そこにすさまじい悲劇を見るのは当然だが、ゆかりのある人々にとって満州は、いまも痛切で複雑な感情を... 続きを読む
2chで15年かけて969まで育てたスレが荒らしに埋められた - amino774ml
「15年」 あなたは15年と聞いて何を思い浮かべるだろうか。 例えば人が生まれて15年。 その人は今頃中学校を卒業し高校生になる頃だろう。 例えば15年戦争。 1931年の満州事変から始まった一連の戦争が1945年に終結するまでにかかった年月。 例えば私が2chのソフトドリンク板に「とあるスレッド」を立てそのスレッドが10... 続きを読む
『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』傀儡国家の最高学府出身者の人生から見えてくるものとは - HONZ
五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後 (集英社文庫) 作者:三浦 英之 出版社:集英社 発売日:2017-11-17 日中戦争当時、石原芫爾が満州事変を首謀し、満州国を建設後、彼が次に目指したのは将来国を担っていくエリートの育成である。満州国の最高学府として建設されたのが「満州建国大学」。満州国が当時国是として掲げていた「民族協和」の実践場として、日本人の定員を半分に制限し、中国、朝鮮、モンゴル... 続きを読む
まっとうな歴史研究を「自虐史観」として攻撃してきたのは誰か? - 河野談話を守る会のブログ - Yahoo!ブログ
★ まっとうな歴史研究を「自虐史観」として攻撃してきたのは誰か? これまで右派は、満州事変にはじまる14年間の戦争について、まっとうな歴史研究の成果を「自虐史観」と述べて攻撃してきました。 「「侵略戦争」発言は自虐史観だ」とか 「南京虐殺があったというのは自虐史観だ」とか 「慰安婦の被害を述べるのは自虐史観だ」とか 皇軍(日本軍)の非道行為を少しでも指摘されるとそれを「自虐だ」と非難するわけです。... 続きを読む
真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」
太平洋戦争の開戦から12月8日で75年を迎える。改めて、なぜ日本は戦争へと至ったのだろうか。 日本近現代史が専門の加藤陽子・東京大学教授は近著 『戦争まで』 で、1941年の太平洋戦争の前に、世界が日本に「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた交渉事は3度あったと指摘する。「満州事変(1931年)とリットン報告書(1932年)」「日独伊三国同盟(1940年)」そして「日米交渉(1941年)」だ。... 続きを読む
真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」
太平洋戦争の開戦から12月8日で75年を迎える。改めて、なぜ日本は戦争へと至ったのだろうか。 日本近現代史が専門の加藤陽子・東京大学教授は近著 『戦争まで』 で、1941年の太平洋戦争の前に、世界が日本に「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた交渉事は3度あったと指摘する。「満州事変(1931年)とリットン報告書(1932年)」「日独伊三国同盟(1940年)」そして「日米交渉(1941年)」だ。... 続きを読む
ASCII.jp:戦前の日本は超格差社会だった
ABOUT THE ARTICLE 元国税調査官の大村大次郎氏が日本の歴史を「お金」から読み解いた1冊『 お金の流れで読む日本の歴史 』から、現代世界と比べても印象深いくだりを紹介。なぜ日本国民は国際社会から孤立してまで「満州事変」を支持したのか? 戦前の日本は、現代以上の格差社会だった。 それが、「戦争を歓迎する」という日本国民の考えの土壌になったのである。 日本は明治維新後、急激に工業化をすす... 続きを読む
消えた地図記号、平成生まれの地図記号 - デイリーポータルZ:@nifty
「陸軍所轄」「海軍所轄」「師團司令部」。 戦時色を強く感じさせる施設の地図記号が、凡例の上の方に記載されている。これが発行された昭和7年は、満州事変の翌年で、日中戦争開戦の5年前。地図記号ひとつとっても当時の時代背景がみてとれる。 ただ、軍の関連施設を地図に載せちゃっていいもんなんだろうか。敵に場所がばれちゃうんではないかと思うが、調べてみると重要な軍事施設を地図上に偽って記載する「戦時改描」が行... 続きを読む
水木しげるを知りたければ『昭和史』は必ず読むべし!! - ニート気質な僕の生きる道
2015-11-05 水木しげるを知りたければ『昭和史』は必ず読むべし!! 本の感想(ジャンル問わず) どうも、ラッキーマンです。 今日は僕が大好きな水木しげる先生の作品の中でも 『特にオススメ』の作品を紹介したと思います。 それがこちら コミック昭和史 (第1巻) 関東大震災~満州事変 posted with ヨメレバ 水木 しげる 講談社 1994-08-01 Amazon Kindle 楽天... 続きを読む
澤藤統一郎の憲法日記 » 放送大学の「表現の自由の抑圧」に抗議するー再び戦争をするための体制作りに加担してはならない
「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」 簡潔に、ことの本質をズバリとよく言い得ているではないか。まことにそのとおり。心の底から共感する。今後、私は何度でもこの文章を... 続きを読む
「平和主義が終わる懸念」 安保法の成立、各国でも報道:朝日新聞デジタル
中国メディアは19日、安全保障関連法の成立を主要ニュースとして報じ、厳しく批判した。国営中国中央テレビは、国会前で反対の声を上げる人々の様子を繰り返し放映し、「民衆や各界が強烈に反対する中で強行に可決」と強調。北京紙・新京報は「自衛隊は海外での戦争にかかわるようになる」との学者の見方を伝えた。法成立のタイミングが満州事変の発端の柳条湖事件(1931年9月18日)と重なったことで、ネットでも反発が相... 続きを読む
戦後70年これまで・これから:新聞は「戦争」をどう報じたか(その1) 戦意あおり暴走加担 - 毎日新聞
新聞は、あの戦争をどう報じたのか。戦後70年を機に、毎日新聞は本紙をはじめとする新聞と戦争の関わりを調べた。浮かび上がってきたのは、満州事変(1931年)の時点で軍部支持に走った新聞の姿だった。日中戦争(37年)以後、次第に報道の自由を失った新聞は、戦況悪化につれ事実と異なる「戦果」を書くに至った。終戦直後、新聞は戦争協力の反省に立ち幹部の退陣や社内民主化を進めたが、それ以上の責任論議は高まらなか... 続きを読む
目立つ間接的表現、見えにくい首相の考え 安倍談話:朝日新聞デジタル
安倍内閣は14日、戦後70年の首相談話(安倍談話)を閣議決定した。戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に盛り込まれた「植民地支配」「痛切な反省」「侵略」「心からのおわび」といった文言を使う一方で、歴代内閣の方針を引用するなど間接的な表現が目立ち、首相自身の考えは見えにくい内容となった。 安倍晋三首相は閣議後、首相官邸で記者会見して談話を発表した。談話では1931年の満州事変や33年の日本の国際連... 続きを読む
【戦後70年特別企画】 「昭和陸軍」の失敗。エリート軍人たちは、どこで間違えたのか 敗戦は戦う前から見えていた | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
第二次大戦時、アメリカと日本の国力には12倍の差があったと言われる。巨大な敵に、先人たちは本気で勝てると考えていたのだろうか。戦後70年のいまこそ、昭和陸軍の「戦略構想」を問い直す。 カギを握る4人のエリート 「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。満州事変の2年前の1929年に結成されました。メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約4... 続きを読む
集団的自衛権巡る左派勢力の主張とかつての軍国主義の思考様式がそっくりである | 長谷川幸洋「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]
1931年9月18日に満州事変を始めた軍部の思考と今の「左翼」の主張が共通!? photo Getty Images 集団的自衛権をめぐる現在の左派勢力の主張と、軍国主義時代の日本軍部や暴走官僚の思考様式には、実は瓜二つの共通点があるのではないか。ともに揺れ動く世界情勢を正しく認識せず、自分たちの勝手な思い込みで日本の針路を論じ、また決めようとしていたのだ。 こう言うと、左派勢力は「我々こそが平和... 続きを読む
歴史修正主義はアジアの分裂をもたらす | アメリカから見た世界 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
従軍慰安婦問題で誤報をしたことでバッシングを受けている植村隆・元朝日新聞記者。同氏は1月9日、日本外国特派員協会で会見を行った(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ) キングストン氏は日本在住のリベラルな視点を持つ政治学者。テンプル大学日本校で主にアジアの政治について教えている。安倍晋三首相に対して批判的な同氏は、明仁天皇の1月1日の新年所感に大いに注目している。明確に「満州事変」... 続きを読む
あの戦争は「15年戦争」ではない : アゴラ - ライブドアブログ
天皇が年頭所感で満州事変に言及したことが話題になっているが、原文は次の通り:本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っ... 続きを読む
天皇陛下の年頭所感を読む(江川 紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース
毎年、年の初めに発表される天皇陛下の所感。戦後70年となる今年は、戦争がもたらした多くの犠牲に触れ、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と述べられた。 過去にしっかりと向き合い、そこから教訓を学び、2度と悲惨な戦争の当事国とならないよう、この機会にしっかり考えていこうという呼びかけと、私は受け止めた。ただ、新聞によっては、なぜか... 続きを読む