タグ 戦後75年
人気順 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 usersSNSで揺らぐ平和意識 戦争容認、簡単に「いいね」 :日本経済新聞
戦後75年を過ぎ、過去の戦争や悲劇の歴史について、若者が簡単に肯定的な姿勢を示すケースが目立っている。真偽不明のSNS(交流サイト)の投稿に大量の「いいね」が付いたり、戦争は「仕方ないこと」と捉えたり。専門家は「戦後培ってきた平和への意識が局所的に崩れてきた」と警鐘を鳴らしている。 「いくらユダヤ人を... 続きを読む
コロナ禍の8月15日、靖国神社を訪れる「普通」の人々の慰霊感情と忍び寄る「臣民化」 | ハーバー・ビジネス・オンライン
8月15日、コロナ禍における靖国神社の状況を観察しに行った。東京で感染者が増加していることもあり、人数は少なくなるかもしれないと思っていたが、予想に反して、ここ数年では最も多い参拝客が訪れていた。 今年は戦後75年―4分の3世紀―の節目であり、コロナによってお盆に帰省する人も少ない。また、コミックマーケッ... 続きを読む
終戦前日に亡くなったユーハイム創業者が歩んだ激動の人生「お菓子は平和の証」【戦後75年】 | Business Insider Japan
カール・ユーハイム(1886〜1945)は、木の年輪をかたどったドイツ菓子バウムクーヘンを日本に伝えたドイツ人。老舗洋菓子メーカー「ユーハイム」(神戸市)の創業者だ。 株式会社ユーハイム提供/ 今から75年前、1945年8月14日の夕方6時前。神戸・六甲山上のホテルの一室で、ある菓子職人が59年間の生涯を静かに終えた。 「... 続きを読む
首相式辞から「歴史」消える 今年も加害責任は言及せず [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式に参列し、式辞を述べた。今年の式辞では、昨年まで繰り返し用いてきた「歴史」という文言が消えた。一方で、首相が外交・安全保障戦略を語る時に使う「積極的平和主義」が初めて盛り込まれた。アジアの近隣諸国への加害責任には今年も言及せず、戦後75年の節目のメッセ... 続きを読む
村山談話を再び炎上させている人たちは、より戦争の被害に踏み込んだ安倍談話は批判しないのか(古田大輔) - 個人 - Yahoo!ニュース
戦後75年、そして、戦争への「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した村山談話から25年。村山富市元首相が改めてあの談話に込めた思いを公開した。ネット上にはいわゆる保守派の一部から村山談話を厳しく批判する声が上がる。 だが、自他共に保守を任じる安倍晋三首相はこれまで何度も「村山談話を引き継ぐ」と表明して... 続きを読む
村山元首相「『侵略でない』受け入れられない」 戦後75年で談話 - 産経ニュース
村山富市元首相は15日、戦後75年を迎えるにあたり、平成7年の「村山談話」に託した思いとして談話を発表した。「中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・欧州でも、日本の戦争を侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は全く受け入れられるはずがないことは自明の... 続きを読む
「パンパン」から考える占領下の性暴力と差別 戦後75年、今も変わらぬ社会 - 毎日新聞
トラックから降り、性病検診を受けるため都立吉原病院に収容されるキャッチされた女性たち=1950年8月撮影 「パンパン」という存在をご存じだろうか。終戦直後、占領軍の兵士と親密だった日本人女性に対する侮蔑的な呼び名として使われてきた言葉だ。パンパンとみなされた女性は、街中で突然身柄を拘束され、性病検診を... 続きを読む
八重山の特飲街でAサインバーを営んだ両親。米兵が訪れる、子どもが入ってはいけない部屋があった。稼ぎを古里に仕送りするねぇねぇたち。「女性の生き血を吸うろくでもない男」。長
八重山の特飲街でAサインバーを営んだ両親。米兵が訪れる、子どもが入ってはいけない部屋があった。稼ぎを古里に仕送りするねぇねぇたち。「女性の生き血を吸うろくでもない男」。長く父を憎んだ。〈戦後75年 沖縄の奄美人〉 太平洋戦争が終わり、奄美群島は沖縄と共に米軍統治下に置かれた。深刻な食糧難に追い込ま... 続きを読む
質問に答えない安倍首相を共犯者メディアが守る戦後75年の“報道事変” (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
事前に記者から質問を集め、想定問答を読み上げるスタイルに批判を浴びてきた安倍晋三首相の記者会見。8月6日の広島での会見では、事前通告のない質問をする記者を官邸職員が妨害して制止。ついに質問妨害が、実力行使に発展した。新著『政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す』(朝日新書)の著者で、朝日新聞政... 続きを読む
戦後75年、このままでいいのか日本の「戦争総括」 平和を希求するだけでは平和を手に入れることはできない(1/5) | JBpress(Japan Business Press)
焼け野原になった東京・銀座。二度と同じ過ちを繰り返すべきではないが、反戦を唱えるだけで平和で豊かな日本を守れるのだろうか(写真:近現代PL/アフロ) 少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスク... 続きを読む
論点:戦後75年 戦争と科学 - 毎日新聞
科学や技術には、人の生活を豊かにする民生利用と、兵器などにつながる軍事利用の両面性がある。その境界は、時代の最前線を行く研究分野でますます見えにくくなっている。先の大戦では、日本の科学者は軍事と深く関わり、戦後その反省を踏まえて再出発したはずだった。だが、戦後75年を経て学術の側の忌避感は薄れつ... 続きを読む
戦後75年「私の父は誰?」 真実を探し続けるオランダの日系人たち - Yahoo!ニュース
「父が誰か、知りたい」「日本で父の墓参りをしたいのに手掛かりが何もない」……。日本から遠く離れたオランダで、そんな思いを抱き続ける日系人たちがいる。70代以上のお年寄りばかりで、多くは高齢になってから「父は日本人」という出生の秘密を知った。なぜ、そんな日系人たちがいるのか。オランダと日本、その高齢者... 続きを読む
戦後75年『ガンダム』から見る戦争(後編)「顔を見えなくしているもの」安彦良和氏の視座(写真12枚)(玉本英子) - 個人 - Yahoo!ニュース
◆『ガンダム』のリアリティ『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインと作画監督を担った安彦良和さん。これまで自身の作品のなかで戦争と平和に向き合ってきた。『ガンダム』が問いかけたもの、そして、いま起きている戦争の現実。戦後75年特集の後編。(玉本英子・アジアプレス) (安彦良和氏・前編はこちら) 「『... 続きを読む
元特攻隊員の100歳と97歳兄弟 「戦争反対しなかった」悔いと「伝える義務」<つなぐ 戦後75年>:東京新聞 TOKYO Web
兄弟で旧日本海軍の特攻隊に志願し、生き残った100歳と97歳の2人が、終戦から75年を迎えるのを前に、当時を振り返る「特攻 最後の証言」を出版した。「戦死を覚悟するぐらいなら、なぜ死ぬ気で戦争に反対しなかったのか」。悔恨と、二度と悲劇を繰り返さないという思いを込めた。 (梅野光春) 続きを読む
WEB特集 戦後75年 母と信じた人は別人だった | NHKニュース
戦争孤児は、どこまで翻弄され続けるのか。親の手がかりを求める旅を70歳をすぎてから始めた女性がいる。おととし、母の名前を知った時には、その存在を初めて実感できて心が震えた。さらに詳しく知りたいと、個人情報の壁を乗り越え手にした行政の記録には、母だと信じていた人は別人という事実が記されていた。戦後75... 続きを読む
首相の追悼式出席求めず 「慰霊の日」に沖縄県
沖縄県は、太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的な戦いが終わったとされる6月23日の「慰霊の日」に開催する沖縄全戦没者追悼式に、今年は安倍晋三首相の出席を求めない方針を固めた。戦後75年の節目だが、新型コロナウイルス感染防止のための措置で、規模を大幅に縮小する。首相あいさつを内閣府沖縄総合事務局長が代読する方... 続きを読む