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人気順 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 users眼下の黒煙、真珠湾の朝 102歳元搭乗員がいま語る [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
「どこか遠くにいくのだろうか」。1941年11月18日、大分・佐伯湾を出港した日本海軍の空母「蒼龍(そうりゅう)」。艦載機の搭乗員だった吉岡政光さん(102)=東京都足立区=はそんな思いを巡らせていた。 集結した空母・赤城(あかぎ)や飛龍(ひりゅう)なども出港した。ただ、いつもは事前に伝えられる行き先がわから... 続きを読む
宙に浮くトーチカ、崩落していた 北海道の旧日本軍施設 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
太平洋に面した北海道大樹町(たいきちょう)の海岸で、第2次世界大戦末期に造られた旧日本軍の「トーチカ」が崩落しているのが見つかった。9月下旬、十勝総合振興局が河川パトロール中に発見し、町に報告したという。 ロシア語で「点、地点」を意味するトーチカは、コンクリート製の防御用陣地。1944年以降、米軍上陸に... 続きを読む
BC級戦犯とされた祖父 捕虜抱え…手記に刻まれた壮絶 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
戦時中、岩手・釜石の捕虜収容所長を務めた稲木誠さんは「BC級戦犯」として裁かれた。晩年、「降伏の時」(ペンネーム・中山喜代平)と題した手記を執筆し、敗戦から捕虜が引き揚げるまでの1カ月間を克明につづった。この夏、孫でジャーナリストの小暮聡子さん(39)が、未公表の手記の全文をウェブサイトで公表した。 続きを読む
白い花、農家には隠された使途 日本が採った悪魔の戦略 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
「上から見ると真っ白だった」。和歌山県湯浅町で生まれ育った川瀬弘さん(86)は子ども時代を懐かしんだ。5月から6月ごろ、有田郡や現在の由良町付近はケシの白い花に埋め尽くされ、まるで雪が降ったかのようだったという。一方、子どもが近づくことは禁じられていた。「ケシを育てているところには入るな、と言われて... 続きを読む
「富士の名水」実は軍事施設 1日8万トン、湧き水今も [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
御用邸や歌人の若山牧水が晩年を過ごしたことでも知られる静岡・沼津。戦争は軍関係の研究所や軍需工場を林立させ、観光・保養の街を「軍都」に変えた。今も空襲の跡が残る街では、富士山の雪解け水を源とする柿田川湧水群を利用した軍の施設が水道に生まれ変わり、市民の生活を支える。 静岡・柿田川 旧海軍が水源に ... 続きを読む
極限の「餓島」で骨と皮に 部下たちの名前ただ記録した [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
餓島(がとう)――。圧倒的な米軍の物量に対し、日本軍が多くの餓死者を出したことからこう呼ばれた島がある。 福井県鯖江市の橋本(旧姓・加藤)長生(ちょうせい)さん(99)を中隊長とする約130人の歩兵第228連隊第四中隊は、弾薬も食料もほとんどない中、2カ月間陣地を守り、大半が命を落とした。 橋本さんは足を悪く... 続きを読む
震えて書いた特攻命令書 「人殺しと一緒」95歳の後悔 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
【動画】太平洋戦争末期、特攻機に仲間の誰を乗せるかを指示する命令書をつくっていた男性が、当時の思いを語った 太平洋戦争末期、米軍の艦船に体当たりする攻撃で多くの命が失われた特攻。日本統治下の台湾で多胡恭太郎(たごきょうたろう)さん(95)に課せられたのは、どの隊の何機を特攻機として飛び立たせるかを指... 続きを読む
首相式辞から「歴史」消える 今年も加害責任は言及せず [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式に参列し、式辞を述べた。今年の式辞では、昨年まで繰り返し用いてきた「歴史」という文言が消えた。一方で、首相が外交・安全保障戦略を語る時に使う「積極的平和主義」が初めて盛り込まれた。アジアの近隣諸国への加害責任には今年も言及せず、戦後75年の節目のメッセ... 続きを読む
村山談話への思い発表 侵略戦争否定「受け入れられぬ」 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
日本のアジア諸国に対する植民地支配を認め、公式に謝罪の意を示した村山談話。その発表から25年を迎えた15日、村山富市元首相が「村山談話に託した想い」と題したコメントを公表した。日本の侵略戦争を否定する歴史認識は「受け入れられるはずがない」と強調し、村山談話が引き続き世界平和に貢献することを期待した内... 続きを読む
火炎瓶・ゲリラ戦…本土決戦、指南した新聞 研究者復刻 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
敗戦直前、米軍の上陸を想定し、九州の住民に戦車への火炎瓶攻撃やゲリラ戦のやり方を解説した「防衛新聞」が見つかった。軍部の要請で、九州などを担当する朝日新聞西部本社が月3回発行したが、実物はほとんど残っておらず、入手した民間の研究者らが復刻版を発行した。 防衛新聞は1945年4月18日、九州などを担当する朝... 続きを読む
動かぬ牛、乱れる風紀…理想郷求めた満州開拓団の崩壊 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
戦前から戦中にかけて、新潟県からは都道府県別で5番目に多い約1万3千人が大陸にわたった。悲劇的な結末を迎える「満州開拓」が現代に伝えるものは何か。柏崎市の転業開拓団を通して考えたい。(戸松康雄) 新潟県柏崎市の市街地と日本海を見渡す高台に、高さ7メートル余りの2本の石柱が並ぶ「満州柏崎村の塔」がある。7... 続きを読む
75年前の「自粛警察」 私はパーマの女性に石を投げた [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
太平洋戦争末期の、ある日。宇都宮市内で、国民学校から友達と下校していた生井弘明さん(86)は、若い女性の2人連れを見つけた。 1人は、明るい色調の和服。特に目を引いたのが、ウェーブがかかった髪だ。きれいになでつけられて、光って見えた。 「パーマだ」。当時、男性は国民服、女性はもんぺ姿の人が多かった。少... 続きを読む
黒い雨訴訟、広島市と広島県が控訴 国の要請受け入れ [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
広島への原爆投下後に降ったとされる「黒い雨」を国の援護区域外で浴びたと訴えた原告側84人全員を被爆者と認め、被爆者健康手帳を交付するよう広島県と広島市に命じた広島地裁判決について、県、市は12日、国からの要請を受け入れ、控訴した。 厚生労働省は健康被害について従来の政府判断の見直しを検討するとしており... 続きを読む
80代、ツイッターに見た右へ倣え 民主主義、大丈夫? [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
いま世界は、どう新型コロナウイルスと闘っているのだろう――。 東京都世田谷区で暮らす渡部康子さん(87)の朝は、あらゆる報道や情報を見比べることから始まる。 日本だけでなく、娘や孫が住む外国の状況も追う。新聞を読み、ネット情報を確認。時には、ビデオ通話で家族や友人に現地の状況を聞くこともある。 科学的な... 続きを読む
首相に憤る被爆者「何のため長崎に」 あいさつにも失望 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
長崎の被爆者5団体の代表らが9日、長崎市内で安倍晋三首相らと面会した。この日の平和祈念式典のあいさつで安倍首相は「被爆者の方々と手を取り合って」「被爆者の方々に寄り添い」と述べたが、昨年の面会で求めた長崎原爆資料館訪問は実現せず、被爆者が参加を求める核兵器禁止条約からも距離を置く。被爆者からは「政... 続きを読む
原爆75年、長崎で式典 首相は核兵器禁止条約に触れず [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
長崎に原爆が投下されてから9日で75年の節目を迎えた。長崎市松山町の平和公園では、新型コロナウイルスの感染防止のため、規模を縮小して平和祈念式典が開かれた。田上富久市長は核兵器禁止条約に賛同しない日本政府に署名・批准を迫ったが、安倍晋三首相は昨年に続き、あいさつで条約には触れなかった。 式典会場では... 続きを読む
平和活動したら「意識高いね」 引いた視線にモヤる若者 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
被爆地・長崎で原爆のことを学び、核廃絶を訴える高校生や大学生がいる。平和活動に参加する一方で気になるのが、同年代から向けられる「意識高いね」という視線。被爆地でも特別視されがちな活動のハードルを下げ、仲間の輪を広げる道筋を探りながら、活動を続けている。 行動すると特別視…でもめげずに 「(大学進学の... 続きを読む
記憶なくても語らにゃいけん 胎内被爆者を苦しめた烙印 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
生まれた時から被爆者。そんな重い宿命を背負わされた人たちがいる。妊娠中に被爆した母親から生まれた「胎内被爆者」だ。「最も若い被爆者」である彼らも、75歳になる。原爆を知らない。だけど被爆者として語りたい。その思いをまとめた手記集を年内に出版する予定だ。 6日午前8時15分。広島県廿日市(はつかいち)市の... 続きを読む
断崖絶壁、宙に浮かぶ旧日本軍の陣地 発見はつい3年前 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル
3年前の5月。北海道大樹町(たいきちょう)の当縁川(とうべりがわ)河口付近で、十勝総合振興局帯広建設管理部の河川パトロール中に、コンクリート製の人工建造物が見つかった。それは、太平洋戦争末期に造られた、旧日本軍の「トーチカ」だった。 ロシア語で「点、地点」を意味するトーチカは、軍事的に重要な場所を守... 続きを読む