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人気順 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 usersサザン、大瀧詠一…緑黄色社会の長屋晴子が選曲! テーマは「2000年代初期、真夏の静岡御前崎」 | J-WAVE NEWS
緑黄色社会の長屋晴子(Vo)と亀田誠治が、「2000年代初期、真夏の静岡御前崎」をテーマに音楽談議を展開した。 長屋が登場したのはJ-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:亀田誠治)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか──時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターの亀田誠治が... 続きを読む
タイタニックで日本人乗客の生存者がいなかったら日本の音楽シーンは変わっていたかもしれない - Togetter
イワモトヒロユキ @h3iwamot タイタニック、テレビ放映してるのを息子が観ている。ちなみに日本人乗客の生存者、細野正文の孫が細野晴臣なので彼が死んでたら、はっぴいえんども、Y.M.Oもティン・パン・アレーもなく、そこから大瀧詠一、松本隆、荒井由実、松任谷正隆という当時の音楽シーンが繋がらなくなるという話。 ... 続きを読む
大瀧詠一の西武球場ライブが音源化、初回盤にオールディーズカバーCD&1977年映像DVD - 音楽ナタリー
大瀧詠一のライブアルバム「NIAGARA CONCERT '83」が3月21日に発売される。 本作には1983年に埼玉・西武球場で開催されたイベント「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES '83 / ASAHI BEER LIVE JAM」出演時の音源を収録。この公演は彼が“大滝詠一”名義で出演した最後のライブで、当日はサザンオールスターズやラッツ&スターもパ... 続きを読む
大瀧詠一「ゴー・ゴー・ナイアガラ」日曜深夜に復活!ベストセレクション連続OA - 音楽ナタリー
大瀧詠一のラジオ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」のアーカイブ放送が、ラジオ日本の開局60周年記念特番として、「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」と題して12月23日(日)から2019年3月31日(日)まで毎週日曜深夜にオンエアされることが決定した。 「ゴー・ゴ ー・ナイアガラ」はラジオ日本の前... 続きを読む
ソニー、29年ぶりにレコード生産復活。第1弾は大瀧詠一とビリージョエル - AV Watch
ニュース ソニー、29年ぶりにレコード生産復活。第1弾は大瀧詠一とビリージョエル 臼田勤哉 2018年1月25日 13:44 ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)は、ディスク製造工場であるソニーDADC ジャパン(DADJ)において、アナログレコード用のスタンパー製造設備を導入した。これにより、約29年ぶりにカッティングマスター制作からスタンパー製造、プレスまでのアナログレコードの生... 続きを読む
大滝詠一は設計士で僕は左官屋、細野晴臣が『ナイアガラ・ムーン』を聞きながら自作を語った日|TAP the DAY|TAP the POP
大瀧詠一がエレックレコードとの契約で、プライベートレーベル「ナイアガラ」を設立したのは1974年9月だ。 自分のレーベルを持って作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニアを務めて、原盤制作から原盤管理までを行うことは、音楽の道を志した頃から抱いていた夢だった。 そして1975年5月25日、はっぴいえんど解散後の初ソロ・アルバム『NIAGARA MOON(ナイアガラ・ムーン)』を、ついに自分のレーベ... 続きを読む
作詞家・松本隆が日本の音楽に残してきた功績 『風街レジェンド2015』の意義を読み解く - Real Sound|リアルサウンド
作詞家・松本隆の作詞活動 45周年を記念したオフィシャルプロジェクト「風街レジェンド2015」公演が、8月21日と22日に東京・国際フォーラム ホールAで開催される。 松本隆は20歳のとき、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂とともに“はっぴいえんど”を結成し、ドラムと作詞を担当。「日本語のロック」の一つの雛形を提示し、その後の日本のポピュラー音楽に多大な影響を及ぼした。はっぴいえんど解散後は作詞に専念し、... 続きを読む
大貫妙子、鈴木慶一が「日本語ロックの50年」NHKで語る - 音楽ナタリー
「日本語ロック・ポップスの50年~'はっぴいえんど'が拓いた世界~」と題した番組が、12月30日(火)19:20よりNHKラジオ第1放送でオンエアされる。これはサエキけんぞうが司会を務める生放送の特集企画。番組では1965年にリリースされたザ・スパイダース「フリフリ」とエミー・ジャクソン「涙の太陽」を日本語ロック&ポップスの源流と位置付け、はっぴいえんど、細野晴臣、大瀧詠一の功績を中心に、その後5... 続きを読む
NHKラジオ『日本語ロックの50年〜‘はっぴいえんど’が拓いた世界〜』を12月30日放送 - amass
『日本語ロックの50年〜‘はっぴいえんど’が拓いた世界〜』がNHKラジオ第一放送で12月30日(火)放送。番組では、はっぴいえんど、そして細野晴臣、大瀧詠一の功績を辿りながら「日本語ロック・ポップス」の魅力を150分間にわたって語り尽くします ●『日本語ロックの50年〜‘はっぴいえんど’が拓いた世界〜』 ・放送日時:2014年12月30日(火)午後7時20分〜9時55分(生放送) ・チャンネル:N... 続きを読む
大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?|Extra便|TAP the POP
細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ場所で、細野は指定されたベンチに座っていた。 立教高校時代からの友人から、「経済学部におまえみたいに音楽にうるさいやつがいるんだ、紹介するよ」と言われていたからだ。 やがて友人に連れられてやってきた男は、ポツリと「中田です」と名乗った。それ... 続きを読む
大瀧詠一ベストに本人歌唱「夢で逢えたら」も - 音楽ナタリー
大瀧詠一のオールタイムベストアルバム「Best Always」が、12月3日にリリースされることが明らかになった。 本作は日本の音楽シーンを彩ってきた「幸せな結末」「君は天然色」「恋するカレン」といった数々の名曲や、多くのカバーも発表されている「夢で逢えたら」の本人歌唱バージョンなどを収録。はっぴいえんどのアルバムや、ナイアガラ・レーベルから発表したソロ名義の作品などから最低1曲以上を収めた、大瀧... 続きを読む
ヴァン・ダイク・パークスが大瀧詠一への追悼メッセージを発表 - amass
I salute Eiichi Oktaki, whom I served (with Lowell George) for "Happy End".Sayonara America.Sayonara Eiichi! pic.twitter.com/Oofcvl5xeW— Van Dyke Parks (@thevandykeparks) 2014, 1月 1 続きを読む
細野晴臣さん「彼の中のポップスどこへ」 大瀧さん死去:朝日新聞デジタル
ミュージシャンでプロデューサーの大瀧詠一の訃報を受け、音楽界から惜しむ声が相次いだ。 ◇ 〈「はっぴいえんど」のメンバーでミュージシャンの細野晴臣さんの話〉 最初は誤報だと思っていましたが、とてもショックです。大事な音楽家を失ってしまった。残念にもほどがある、という思いです。彼の中に詰まっていたポップスの宝庫はどこに行くんでしょうか。大瀧君はずっとソロアルバムを作っていなかったのが気になり、1... 続きを読む
細野晴臣大瀧さんのアルバム作れず残念/芸能速報/デイリースポーツ online
細野晴臣大瀧さんのアルバム作れず残念 2013年12月31日 大瀧詠一氏への追悼コメントを発表した細野晴臣 拡大写真はこちら 伝説的ロックバンド・はっぴいえんどの元メンバーでシンガー・ソングライターの大瀧詠一(本名・大滝栄一)さんが、30日、解離性動脈瘤のため死去したことを受け、31日、バンドメンバーだった細野晴臣(66)が追悼のコメントを発表した。 細野は「最初は誤報だと思っていましたが、とても... 続きを読む
大滝詠一さんの死因は解離性動脈瘤 所属事務所が発表 (サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
ロックバンド「はっぴいえんど」の元ギタリストでミュージシャンの大瀧詠一 =昭和51年3月5日撮影【撮影日:1976年03月05日】(写真:サンケイスポーツ) ミュージシャンの大滝詠一さんが死去したことを所属事務所のソニー・ミュージックレコーズが31日、書面で正式に発表した。 以下、発表文 ミュージシャンの大瀧詠一(本名・大瀧榮一)氏が30日19時ごろ自宅で倒れ、病院に搬送されましたが、解離性動脈瘤... 続きを読む
大滝詠一さんの死因は解離性動脈瘤 所属事務所が発表 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
ミュージシャンの大滝詠一さんが死去したことを所属事務所のソニー・ミュージックレコーズが31日、書面で正式に発表した。 以下、発表文 ミュージシャンの大瀧詠一(本名・大瀧榮一)氏が30日19時ごろ自宅で倒れ、病院に搬送されましたが、解離性動脈瘤で永眠されました。享年65歳。通夜、葬儀等今後の対応は現時点では未定という事です。謹んでご冥福をお祈りいたします。 続きを読む
大瀧詠一の系譜学 (内田樹の研究室)
2013年12月31日、大瀧詠一さんが亡くなられた。 むかしばなしを一節語って供養に代えたい。 1976年の3月に野沢温泉スキー場で『楽しい夜更かし』を聴いたのが最初の大瀧音楽経験だった。スキー場から戻ってすぐにレコード店に行って『Niagara Moon』を買い、以後37年忠実なナイアガラ-として過ごした。 大瀧さんとはじめてお会いしたのは2005年8月21日。そのときの感動については当時の日記... 続きを読む
ナタリー - 大瀧詠一が急逝
写真は2011年に発売された「A LONG VACATION」発売30周年記念エディションのジャケット。 大瀧詠一が逝去したことが、一部報道により明らかになった。 彼は昨日12月30日の夕方に都内の自宅で倒れ、搬送先の病院で亡くなったという。65歳だった。 大瀧は1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。1981年発表のソロアル... 続きを読む