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人気順 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 usersスリーピースバンドの世界〜最強の“3人組”は?(前編)|Extra便|TAP the POP
4人組や5人組のイメージが強いロックバンドの世界。だが歴史を振り返る時、忘れてはならないのが3人組。今回は1960〜ゼロ年代に活躍したスリーピースバンドに絞って、思いつくままにラインナップしてみた。あなたにとって最強の3人組は? まずは前編10組を。 ★ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス 衝撃度という意味... 続きを読む
忌野清志郎が「ホリプロ三羽ガラス」だった頃に初めて経験した”全国ツアーみたいなもの”|TAP the DAY|TAP the POP
「ぼくの好きな~」がヒットする前後、オレたちは初めて全国ツアーみたいなものを経験したよ。楽しかった。~忌野清志郎 1971年に「月光仮面」をヒットさせたモップスが、井上陽水とRCサクセションを前座に連れて全国をコンサートで回ったのは、その年の秋から翌年にかけてのことだった。 一緒にまわった忌野清志郎がそ... 続きを読む
マルホランド・ドライブ〜“こんなはずではない自分”が作り出す美しく呪われた世界|TAP the SCENE|TAP the POP
前回の『ロスト・ハイウェイ』では、『ブルー・ベルベット』『ツイン・ピークス』『ワイルド・アット・ハート』といったデヴィッド・リンチ作品で“やられた”人は決して少なくないと書いた。だとすれば、今回の『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive/2001)は、“完全にやられた”人が続出した映画だった。 アイデア... 続きを読む
ガープの世界〜“人生のアップデート”を力強く優しく描いたミリオンセラー小説の映画化|TAP the SCENE|TAP the POP
一度観た映画を観直す人は少なくないと思う。「あの映画、また観たいな」と積極的にストリーミングサービスを利用したり、DVDを購入・レンタルする場合。そしてたまたまテレビの深夜放送を眺めていた時や、無料だからといって何となく視聴ボタンをクリック・タップしてしまう場合。特に後者は「あったな、この映画」のよ... 続きを読む
追悼・片山広明~「まったく、酔うとなにをするかわからないヤツだ」と言いながらも、忌野清志郎が信頼していたバンドマン|Extra便|TAP the POP
「本日テナーの片山広明が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。」という情報が、地底レコードのホームページに掲載されたのは11月12日のことだ。 本日の朝だったそうです。最後は地底レコードでCDをリリースしていました、RCサクセション・渋さ知らズでも活躍したSAXの片山広明が亡くなったとの情報を夕方に知り... 続きを読む
1984〜数多くの音楽や映画に影響を与えたジョージ・オーウェルのディストピア世界|TAP the SCENE|TAP the POP
2019年は平成の終わりと新元号、2020年は東京五輪開催と一大イベントを立て続けに控える日本だが、我々はこの4つの数字(西暦)に時には弄ばれることが少なくない。 例えば世紀末の1999年はノストラダムスの大予言。音楽ファンにはプリンスの同名アルバムの方が重要かもしれない。2000年はミレニアムとしてカウントダウン... 続きを読む
恋しくて〜80年代の青春を魅了した“ジョン・ヒューズ学園映画”のラスト作|TAP the SCENE|TAP the POP
1980年代の映画を語ろうとする時、ある時期の“学園映画”を見落としてはならないこと。そしてその頂点に君臨していたのが「ジョン・ヒューズの学園映画6本」であったことは、『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』でも語った通り。 あれから30年以上が経ち、これまでもたくさんの学園映画が製作されてきた。だが「あ... 続きを読む
追悼・寺尾次郎(1)~音楽から映画へ道に進み、字幕翻訳家になったシュガー・ベイブのベーシスト|Extra便|TAP the POP
小学生の頃から映画が好きだった寺尾次郎は、よく叔母さんに東宝の怪獣映画と青春ものと外国映画の3本立てに連れて行ってもらったそうだ。 音楽活動を始めていた大学時代はベーシストだったが、1975年3月から山下達郎が率いるシュガーベイブに参加し、翌年4月1日の解散ライブまでメンバーとして活躍した。 ただしメンバーに加入したときは、デビュー・アルバム『SONGS』(4月25日発売)が完成した直後だったので... 続きを読む
No.1ヒット数ランキング1890-2017〜127年間で最もチャートを賑わせた歌手やバンドは? - TAP the POP|TAP the CHART|TAP the POP
今回は「No.1ヒット数ランキング1890-2017〜127年間で最もチャートを賑わせた歌手やバンドとは?」ということで、カウントダウン方式でランキングを発表していきたい。 Billboardが初めて全米を対象にしたヒットチャートを発表したのは1940年7月。以降、チャートの規模は15〜30程度の小ささだった(それ以前の1890〜1939年はもっと小規模なチャートが存在していた)。しかも総合的なチ... 続きを読む
アニメ作品が生んだ名曲たち「鉄腕アトム」〜作詞者・谷川俊太郎の戸惑いと驚き〜|TAP the NEWS|TAP the POP
これは“漫画の神様”と呼ばれた手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』が、1963年にTVアニメ版として登場した当時の話である。 初回放送には歌詞が間に合わずに伴奏だけのバージョンが流れてており、第10話くらいから歌詞付きの歌に差し替えられたというから驚きだ。 昭和生まれの世代ならば、このメロディーを“耳にしたことがない人はいない”といっても過言ではないだろう。 そんな歴史的名曲の作詞を手掛けた詩人、翻訳家... 続きを読む
アニメ作品が生んだ名曲たち「鉄腕アトム」〜作詞者・谷川俊太郎の戸惑いと驚き〜|TAP the NEWS|TAP the POP
♪TVアニメ版の第一話:オープニング主題歌に歌詞がついていないバージョン これは“漫画の神様”と呼ばれた手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』が、1963年にTVアニメ版として登場した当時の話である。 初回放送には歌詞が間に合わずに伴奏だけのバージョンが流れてており、第10話くらいから歌詞付きの歌に差し替えられたというから驚きだ。 昭和生まれの世代ならば、このメロディーを“耳にしたことがない人はいない”と... 続きを読む
菅野よう子から「銀河一のアイドルのデビュー曲を作ってください」と頼まれた松本隆|TAP the SONG|TAP the POP
松本隆トリビュートアルバム『風待ちであひませう』を手にして、制作に携わった人たちの思いが伝わってくるブックレットのなかで、詩人の最果タヒさんが書いた素敵な言葉に出会った。 松本隆の言葉は、歌われること、そしてそれを聴く人がいることを、知っていて、そうして生まれてきたものだった。だから、聴いていると、歌っていると、言葉がとてもしあわせそうに生きて、歌って、踊っている。 書かれてある言葉、活字のリズム... 続きを読む
大滝詠一は設計士で僕は左官屋、細野晴臣が『ナイアガラ・ムーン』を聞きながら自作を語った日|TAP the DAY|TAP the POP
大瀧詠一がエレックレコードとの契約で、プライベートレーベル「ナイアガラ」を設立したのは1974年9月だ。 自分のレーベルを持って作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニアを務めて、原盤制作から原盤管理までを行うことは、音楽の道を志した頃から抱いていた夢だった。 そして1975年5月25日、はっぴいえんど解散後の初ソロ・アルバム『NIAGARA MOON(ナイアガラ・ムーン)』を、ついに自分のレーベ... 続きを読む
B.B.キング追悼〜ブルース・シンガーになるということは、二度黒人になるようなものだ|Extra便|TAP the POP
少年時代のB.B.はある日、お金を貯めようと思いついて、舗道に座ってギターを抱えてゴスペルを歌うことにした。すると、ある男が立ち止まって聞き入りながらハミングをし始めた。いい兆しだ。気分が良くなったので次々と歌い続けた。男も上機嫌で、 「神のご加護がありますように」 B.B.も同じ台詞を返してチップを待った。 「なかなかうまいぞ、坊主」 「ありがとうございます」 「その調子で歌い続けるこった」 男... 続きを読む
スタンド・バイ・ミー〜少年時代のイノセンスと友情を描いた心からの名作|TAP the SCENE|TAP the POP
子供の頃の想い出を一つの物語にまとめられないかと、ずっと考えていた。そこには愉快な話もたくさんあるけど、悲しい出来事もある。一緒に過ごした仲間たちは目的もなく、手探りで生きていた。 モダンホラー小説家でありベストセラー作家でもあるスティーヴン・キングは、自らの短編集用の1本にそんな構想を立てていた。そして目的を持たせることを思いつき、少年たちが線路づたいに死体を探すアイデアが生まれたという。 この... 続きを読む
イントゥ・ザ・ワイルド〜アラスカの荒野に消えた青年が孤独な旅で綴り続けた心の言葉|TAP the SCENE|TAP the POP
1992年、夏。アメリカの最北部アラスカ州の荒野。捨てられた古いバスの中で一人の若者の遺体がヘラジカのハンターによって発見された。名前はクリストファー・マッカンドレス(以下クリス)、年齢24歳。日記やカメラ、ソローの『ウォールデン/森の生活』など何冊かの小説もそばにあった。 クリスは東海岸の裕福な家庭で育ち、南部のエモリー大学を優秀な成績で卒業。その直後、2万4千ドルの貯金を全額慈善団体に寄付し、... 続きを読む
日本のエレキギター・レジェンド、 田端義夫が生き抜いた時代|TAP the DAY|TAP the POP
エレキ・ギターを横抱きに、右手を突きあげて、「オース!」。 トレードマークともなったパフォーマンスでステージを湧かせた人物がこの世を去ってはや2年。4月25日は、田端義夫の命日である。 葬儀の翌月、完成をみた一本の映画が劇場公開されたが、タイトルは「オース!バタヤン」。 2005年からおよそ8年がかりで、田端義夫を追いかけた音楽ドキュメンタリーであるが、その映画に登場する顔ぶれを見るだけで、彼がい... 続きを読む
美輪明宏の映画『黒蜥蜴』と「黒蜥蜴の唄」を発見したのは海外のクリエイターたちだった|Extra便|TAP the POP
小説家の江戸川乱歩が一九三四年に発表した長編探偵小説「黒蜥蜴(くろとかげ)」は、宝石など美しいものを狙う美貌の女賊・黒蜥蜴と、名探偵・明智小五郎が対決する物語だ。 三島由紀夫はそれを一九六二年に戯曲化して雑誌に発表、その年の三月には初代の水谷八重子が黒蜥蜴、明智小五郎役が芥川比呂志で上演された。 小説を戯曲化するにあたって三島由紀夫は、黒蜥蜴と明智小五郎との恋愛を劇の主軸にして、種々の歌舞伎の手法... 続きを読む
大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?|Extra便|TAP the POP
細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ場所で、細野は指定されたベンチに座っていた。 立教高校時代からの友人から、「経済学部におまえみたいに音楽にうるさいやつがいるんだ、紹介するよ」と言われていたからだ。 やがて友人に連れられてやってきた男は、ポツリと「中田です」と名乗った。それ... 続きを読む
アメリカのシンガー・ソングライターが日本語で、はっぴいえんどの「風をあつめて」を歌う時代|TAP the SONG|TAP the POP
プリシラ・アーンは2012年、はっぴいえんどの「風をあつめて」やスーパー・バター・ドッグの「サヨナラCOLOR」など、多くの日本語曲を収録したアルバム「ナチュラル・カラーズ」を発表している。これは日本のみならず韓国、台湾、中国といったアジア圏でもリリースされた。 スタジオジブリの作る映画の大ファンだったプリシラは、子供の頃に『耳をすませば』を何度も観ていて、劇中に日本語で歌われていた「カントリー・... 続きを読む