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人気順 5 users 50 users 100 users 500 users 1000 users私のパフォーマンス理論 vol.37 -注意の向け方について- | 為末大・侍オフィシャルサイト
我々は世界をあるがままに見ているのではなく、注意を向けたものを見ている。よく人は見たいものを見ているというが、無意識に注意が向いている場合も多い。注意がどこに向かっているかによって自分にとっての世界は変わる。 注意を向けない世界は非言語の世界だ。仏教的に言えば何も分かれていない無分別の世界、本来無... 続きを読む
私のパフォーマンス理論 vol.18 -諦めない技術について- | 為末大・侍オフィシャルサイト
諦めるのかどうかは、性質・性格(根性)が全てと思われているが、私は技術の要素がそれなりにあると思っている。諦めない技術にもいくつか段階がある。練習を続けるかどうかの習慣化の話、苦しい練習に諦めないで耐える話、そして長期の目標達成の話の三段階で私は捉えている。よく歯磨きに例えられるように、決めたこ... 続きを読む
辞める練習 | 為末大・侍オフィシャルサイト
随分前に諦める力という本を書いたのだけれど、なかなかいいことを言っているなと最近思う。いや、むしろ昨今の社会の空気の中で、余計にあのコンセプトが気になり始めたというべきか。 例えば、テレビの世界があるけれど、最近は事務所をタレントが出る出ない、分裂するしないという話が多い。そういった騒動が一つ一つ取り上げられて語られる。しかしながら考えてみると、夫婦ですら関係解消が珍しくない時代に、形式上はどこか... 続きを読む
単純化したい欲求 | 為末大・侍オフィシャルサイト
現役時代のまだ若いときに、あるトレーニングのモデルにどっぷりと使ったことがある。結局それは私にはうまくはまらずに、そのトレーニングをやめることになったが、今考えると、その時の心理は非常に興味深かったなと思う。大人になって友人に会ったら、私は事あるごとに”僕は真実を発見したんだ”ということを言っていたらしい。 人体は複雑である。右肩が痛かったとしても、右肩の問題なのか、左側に体重を乗せていることが問... 続きを読む
国籍変更、及び現役復帰のご報告 | 為末大・侍オフィシャルサイト
2012年のロンドン五輪挑戦を最後に引退後の人生を送ってきましたが、東京五輪を控え様々な活動を行う中でもう一度だけ自分の限界に挑戦してみたいと思い、現役復帰を決意いたしました。 新しい挑戦を新しい土地でかつ世界一幸せな国で行いたいという私の意向で、国籍をブータン王国に変更しブータン人として、東京五輪を迎えたいと思います。まだブータンでは環境が整備されておらず、 ・競技場が一つしかない ・しかもちょ... 続きを読む
隠せていると思っている人 | 為末大・侍オフィシャルサイト
ある時から、人間というのは逆の一面を表に出しているものだなと思うようになった。みんなに笑われて道化師を演じる人の内側は傷つきやすかったり、クールに認識されている人間の内側が感情的だったり、大人になるにつれ一番痛いところを守るからなのかわからないが、そんなふうに感じるようになった。 昔アメフトの先輩が、球技の文化のいいところは、徹底的に相手のコンプレックスをいじりまくることで、いつしか本人が全部をさ... 続きを読む
優越に依存する自信 | 為末大・侍オフィシャルサイト
23歳で日本選手権をとってから、日本で一番というポジションはほぼ外さずにきていたが、現役時代の終盤30歳から34歳にかけて、私は少しずつ勝てなくなっていった。とくに最後の方は優勝争いというよりも4、5番手になんとか滑り込むという状況だった。 競技場の中心で注目を浴びていた時期があった人は皆そうではないかと勝手に思っているが、人の興味が自分から離れていくことに敏感になる。競技場に入った途端振り向く人... 続きを読む
狙う姿勢 | 為末大・侍オフィシャルサイト
最近、仕事が生まれるタイプの人間とそうではない人間の違いを考えていて、狙うという切り口が思い浮かんでいる。能力のあるなしとは別で、狙っている人間かそうではない人間かの違いがあるのではないだろうか。 狙っている人間は、打ち合わせをしていても、ご飯を食べていても、何かを狙っている印象がある。わかりやすく仕事につなげようという狙いもあるけれど、話の中から何らかの学びを得ようと狙っている場合もある。また、... 続きを読む
記憶 | 為末大・侍オフィシャルサイト
考えてみると私たちが頭に浮かべたものはすべて記憶と言えるのではないか。今聞いた誰かの話し声を頭に浮かべることも0.数秒記憶ができないと、想像することもできない。数十年前の記憶から、今この瞬間の記憶まで、幅はあるにせよ、記憶の世界で物事は考えられている。 記憶を考えてみると、その時にあるものをそのまま記憶しているわけでは無いというのがわかる。目の前のテーブルの上にコーヒーがあって、友達がその向こうに... 続きを読む
褒められることの恐ろしさ | 為末大・侍オフィシャルサイト
僕は褒められると怖くなるという性質がある。少しならいいのだけれど、過去の経験から絶賛されたり、褒められ始めると自分の中で自分を抑えようという気持ちが沸いてくる。 褒められる事にあまり執着しない人間であればおそらくあまり関係ないのだけれど、私は褒められる事に弱い。こういう人間は、褒められた瞬間の喜びを人一倍強く持ってしまう。 褒められる事がうれしいと、褒められるであろう事を人はしてしまうという事だ。... 続きを読む
当事者になるつもりがない人 | 為末大・侍オフィシャルサイト
当事者になるつもりがある人と、ない人がいる。何が違うかというと前者は目的を達成する担当は自分だと思っていて、後者は担当は自分だと思っていない。前者は目的を成し遂げること以外は手段だと思っているからあらゆる手を尽くすが、後者は目的を成し遂げる担当は自分ではないから、手段や仲間や面子にこだわり、うまくいかなかった時は誰かのせいにする。 当事者になるつもりがない人は自分が責任を持っていて自分が未来を決め... 続きを読む
失敗に意味を求めすぎる危険性 | 為末大・侍オフィシャルサイト
失敗から学ぶということは大切なことで、その姿勢があるかどうかで随分と成長の度合いが違うと思う。良い選手は必ず失敗または敗北を分析し、何が問題だったかを探し出し、自分なりに解決方法を見つけている。それは大前提として、もう一方で負けたんだから必ず何か問題があったんだろうと考えすぎてドツボにはまることがある。 例えばスタートして一歩目から頭を上げてゴールを見ながら走っていた選手が、もっと地面をしっかり押... 続きを読む
勝負弱い心 | 為末大・侍オフィシャルサイト
どんなスポーツもレベルが低いうちは身体能力や技術の方が勝負に影響するけれど、レベルが高くなってくるとそういったもので差がつきにくいほど力が拮抗してくるので、当日のパフォーマンス発揮率というものが勝負に影響してくる。かなり乱暴に身体能力と技術と発揮率を説明すると 98(身体能力+技術)×100%(発揮率)=98(勝負強い) 100(身体能力+技術)×95%(発揮率)=95(勝負弱い) と言えると思う... 続きを読む
二匹の蛙 | 為末大・侍オフィシャルサイト
サンディエゴにいた時によくWillie Banks(元三段跳びの世界記録保持者)と食事をすることがあって、その時に話してくれた二匹の蛙という話がある。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ある日蛙が二匹穴に落ちた。穴の高さはとても越えられないような高さで、二匹の蛙は必死でその穴から出ようとして飛んでいたが淵には届かない。 そのうちに他の仲間たちが集まってきて二匹を応援し始めた... 続きを読む
未来から考える新国立競技場 | 為末大・侍オフィシャルサイト
安倍首相から新国立競技場についてゼロベースで見直しすると発表がありました。一時期は決定したことだから覆せないという空気がありましたが、こうして再検討されることはうれしく思います。 一方、この段階で白紙に戻して考えるということは、ラグビーのW杯に負担を強い、これまで計画に関わってきた多くの人たちにとっても負担を強いることになります。後ろ向きの責任探しをするという方向ではなく、五輪後の未来の街はどうあ... 続きを読む
新国立競技場 | 為末大・侍オフィシャルサイト
なんだかお前はどっちなんだと言われるのもいやになってきたので、改めて今の私の意見を言いますと、私は三つの立場から新国立競技場建設の今の案に反対です。 一つ目は陸上選手として反対です。新しい国立競技場はサブトラック(ウォーミングアップのためのグランド)がありません。五輪本番は仮設のもので行うようですが、その後は撤去される予定で、そうなると陸上競技の世界大会をルール上(サブトラックが必要)ひらくことが... 続きを読む
同調圧力の正体 | 為末大・侍オフィシャルサイト
マスメディアへの批判が最近は強い。なんでそうなったのかを少し考えてみたのでそれを書いてみたい。 まず第一に日本では、”誰もがそうだと信じられる真実の中心があり、幾つかの障害はあっても努力していけばそこに辿り着けるはずだ”という前提があると思う。私はこれが同調圧力の正体だと考える。これがあるから、偏向報道という言葉があるし、嘘を言っているマスメディアという批判もあると思う。そして日本のメディア自体が... 続きを読む
無知は独善 | 為末大・侍オフィシャルサイト
私の好きな言葉で”無知は独善”というものがある。 無知とはどういうことか。物事を知らないという意味もあるけれども、私は自らを知らないという意味だととらえている。人間はいつも何かを思い込んでいる。私もあなたもおそらくあの頭のいい人も、今も何かを思い込んでいる。そして人は自分が思い込んでいると気づいた時には、もう思い込んではいない。つまり私たちはいつも何かを思い込んでいて、そして思い込んでいることに気... 続きを読む
正確な罵り方 | 為末大・侍オフィシャルサイト
インターネットというのに触れてからずっと他者の罵る時の言葉がどうにも気に食わない。批判や罵りはある程度しょうがないにしても、その時の言葉の選び方をちゃんと考えた方がいいと思う。 例えば馬鹿という罵り方がある。インターネット上でよく名指しで馬鹿と罵られている人は比較的世間一般よりも高い学歴や経歴、ポジションを持っている事が多く、確かにいくら学歴や経歴がよくても馬鹿な人もいるのかもしれないけれど、ある... 続きを読む
人気とすごい人 | 為末大・侍オフィシャルサイト
各業界ですごいと言われる人はあまり表に出ないで、この人がという人が人気になったりするのをみて、いつもやるせない気持ちになる。話してみるとどの業界でも同じようなことがあるようだ。 すごいと言われる人は、比較的謙虚で、且つ事実に対して誠実な態度をとる。謙虚であるから、表に出ようとするよりも自分がやっている本業にフォーカスしているので、偶然出ることはあってもあまり気づかれていない事も多い。さらには事実に... 続きを読む
競争と助け合い | 為末大・侍オフィシャルサイト
子どもの頃に競争を避け、順位をつけない教育を受けた場合、大人になってから助け合い行動を取らない傾向があるという話をこの間聞いた。とても面白いと思って理由を聞いてみた。 理由は子どもの頃競争をせず順位もつけなかった場合、明らかな差を目にすることが少ないので人間の能力は平等であるという考えを抱きやすいのだという。もし人間の能力が平等であるならば、優秀であるかどうかは努力次第で決まることなので、優秀でな... 続きを読む
感心する母 | 為末大・侍オフィシャルサイト
振り返ってみると私は母親から褒められたという記憶があまりない。とは言っても、興味を持たれなかったかとそんなことはなくて随分興味を持って育てられたと思う。では、母親は私が何かをした時にどう反応していたかというと、ひたすらに感心していた。 例えば中学校で全国大会で優勝した時に、家に帰ったらよくやったね偉いではなく、あんたはそんなことができるんかすごいのう、という反応だった。なんというか褒めたり叱ったり... 続きを読む
Force | 為末大・侍オフィシャルサイト
英語でForceというらしい。競技の現場では物体の勢いという意味で使われ、重みのあるような力のことをforceと表現する。重たい4トントラックが何かに激突して、それを押し飛ばしていくようなあの力のことをForceというイメージで捉えているという前提で話をすすめる。 将来ハードル選手になりたい子供に何を意識してやればいいかと聞かれたら、私はこのForceをあげる。Forceがない技能は本番では役に立... 続きを読む
恩がわからない人 | 為末大・侍オフィシャルサイト
いやらしい話をしようと思う。世の中は一つ一つがちゃらになるようなことばっかりではなくて、お願いしますといった頼みごとや、仕方ないなという頼まれごとが結構ある。貸し借りというもので、だいたいこのぐらい借りているかがわかり、それをどこかで返すという類のものだ。 この感覚が仕事には大事なんだなということが最近分かってきた一方で、この感覚がない人に恩を売った時の、貸した時のリターンのなさったらない。こっち... 続きを読む