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人気順 5 users 50 users 100 users 500 users 1000 users信長が攻めあぐねた堀? 高山右近の高槻城で新たに確認:朝日新聞デジタル
バチカン(ローマ法王庁)から「福者(ふくしゃ)」に認定されたキリシタン大名の高山右近(1552~1615)が城主を務めた高槻城(大阪府高槻市)で、織田信長も手を焼いたとされる右近の築いた堀や、江戸幕府が大規模な改修工事をした痕跡が新たに見つかった。高槻市教育委員会が1日発表した。 高槻城は16世紀前半に造られ、1573~85年には右近が城主を務めた。その後、豊臣家を経て徳川家の直轄地となり、大坂夏... 続きを読む
高山右近、晴れて「福者」に 大阪の列福式に1万人参列:朝日新聞デジタル
キリシタン大名・高山右近がカトリックの「福者(ふくしゃ)」に認められたことを宣言する列福(れっぷく)式が7日、大阪城ホール(大阪市)で開かれた。ローマ法王代理としてバチカン(ローマ法王庁)から派遣された枢機卿が進行役の主司式を務め、信者ら約1万人が参列した。 福者は、聖人に次ぐ崇敬の対象。右近は昨年1月、法王から承認された。 式では、聖遺物として右近のチョッキの切れ端が壇上に置かれた。岡田武夫・東... 続きを読む
キリシタン大名の高山右近に福者の称号 | NHKニュース
キリスト教の信仰を続け国外追放されたキリシタン大名の高山右近に、ローマ法王庁から、敬けんな信仰を貫いた人を示す福者という称号が贈られることになり、7日に大阪で、列福式という式典が行われました。 ローマ法王庁は、日本のカトリック団体から要望を受け、敬けんな信仰を貫いた人を示す、最高の位の聖人に次ぐ福者という称号を贈ることを決め、7日に大阪城ホールで列福式という式典が行われました。 フランシスコ法王の... 続きを読む
「キリシタン大名 (読みなおす日本史)」岡田 章雄 著 | Kousyoublog
キリスト教の平等と戦国大名の統治 さて、本書は著者の元に送られた中学二年生の女の子からの手紙への回答から始まる。 「私は『キリシタン大名の領地内のキリスト教信者(農民)の統制はどのように行っていたか』についてよく知りたいのです。キリスト教の教えはいわば“平等”だったはずです。だから上から圧力をかけたりして武力・権力で農民をおさえつけられないのではないのですか。またそうしようとするならば、キリストの... 続きを読む
ローマ法王庁 高山右近に「福者」の称号 NHKニュース
キリスト教を信仰したため国外追放され、マニラで生涯を閉じたキリシタン大名の高山右近が、ローマ法王庁から敬けんな信仰を貫いた人を示す「福者」という称号を与えられることになりました。 日本のカトリックの団体はローマ法王庁に対して、高山右近は大名の地位を捨てて信仰に身をささげた殉教者だとして、カトリックで亡くなった信者に贈られる最高の位の「聖人」に次ぐ「福者」に列せられるよう要望していました。没後400... 続きを読む
高山右近、「福者」認定=国外追放のキリシタン大名―バチカン (時事通信) - Yahoo!ニュース
【ベルリン時事】バチカン(ローマ法王庁)は22日、江戸幕府のキリスト教の禁教令で国外追放されたキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)を最高の崇敬対象となる「聖人」に次ぐ「福者」に認定したと発表した。 フランシスコ・ローマ法王が21日に承認した。 福者に加える儀式「列福式」は日本で行われる見通し。右近は現在の大阪府で生まれ、父の影響で12歳で洗礼を受けた。豊臣秀吉のバテレン追放令で領地や地... 続きを読む
ローマ法王庁 高山右近を「福者」認定へ NHKニュース
国外に追放されながらも信仰を貫いた戦国時代のキリシタン大名、高山右近に、ローマ法王庁は「福者」の敬称を与える方針を決め、25日、手続きを担当する神父が大阪を訪れて、高山右近の生誕の地を見て回りました。 それからちょうど400年に当たることし、ローマ法王庁は日本からの申請に基づいて、右近を死者への敬称で最高位の「聖者」に次ぐ「福者」に認定する方針を決め、手続きを担当するアントン・ヴィットヴェル神父が... 続きを読む
キリシタン大名:高山右近「福者」に…バチカン審査委了承 - 毎日新聞
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したたかな水軍司令長官だったキリシタン大名・小西行長(1558~1600) | BUSHOO!JAPAN
堺の商人出身ながらも、秀吉に仕え立身出世。関ヶ原の戦いで敗れたキリシタン大名――波乱万丈な生涯を遂げたのが小西行長(1558~1600)です。 華々しいイメージに反して、実は具体的なことはよくわっておらず、多い謎の武将です。それが、近年の研究成果により、徐々に行長の実像が明らかになってきました。 最大のなぞは、商人の出身ながら、行長はなぜ出世できたのかということです。このことを解くカギは、実は姻戚... 続きを読む
大友宗麟が製造 最古の国産大砲か? ロシアの博物館に展示 / 西日本新聞
大友宗麟が製造 最古の国産大砲か? ロシアの博物館に展示 2011年9月29日 20:31 カテゴリー:社会 九州 > 大分 ロシア・サンクトペテルブルクの国立軍事史博物館に展示されている大砲が、戦国時代の豊後国(大分県)のキリシタン大名・大友宗麟(1530―87年)が、日本で初めて量産化に成功した国内最古の大砲「ファルコン砲」(石火矢(いしびや))とみられることが29日までに、東京大史料編(へん... 続きを読む