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人気順 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 users神山健治『009 RE:CYBORG』について - 鳥籠ノ砂
2014-11-07 神山健治『009 RE:CYBORG』について 神山健治『009』は監督・脚本の迷いが露骨に現れている映画だ。すなわち保守的に行くのか革新的にやるのか、あるいは娯楽作品にするのか文芸作品にするのか、そういう基本的な方針が定まっていないように思われる。原作に対して強欲貪欲だったのか優柔不断だったのかは分からないけれど。 たとえばキャラクターの造型。009たちの容姿はよりリアル志... 続きを読む
ヘイトスピーチ、ポルノグラフィ、カミングアウト ――ジュディス・バトラー『触発する言葉』について - 鳥籠ノ砂
2014-06-07 ヘイトスピーチ、ポルノグラフィ、カミングアウト ――ジュディス・バトラー『触発する言葉』について ジュディス・バトラーは『触発する言葉』のなかで、言葉が人を傷つけることについて考察している。ここで具体例として挙げられるのは、ヘイトスピーチとポルノグラフィとカミングアウトの問題である。まず、ヘイトスピーチを取り巻く米国の議論から見ていこう。 たとえば中傷発言や炎上行為といった... 続きを読む
接続と切断、その中間 ――千葉雅也『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』感想 - 鳥籠ノ砂
2013-12-02 接続と切断、その中間 ――千葉雅也『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』感想 千葉雅也は『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(2013)のなかで、ジル・ドゥルーズを「接続的ドゥルーズ」と「切断的ドゥルーズ」に分けている。フェリックス・ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』などが受容されるにあたって、前者に対して後者は... 続きを読む
スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』について ――現代フェミニズムの地平 - 鳥籠ノ砂
2013-08-22 スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』について ――現代フェミニズムの地平 スピヴァクがジャック・デリダ『グラマトロジーについて』の英訳序文を書くことで受け取った最大のものは、彼の「抹消の下に置く」身振りだった。その身振りは『文化としての他者』において、言説が孕む暴力性と偏向性を暴き立てるギリギリの綱渡りを可能にしている。このような試みは、どのような理論的達成に至ったの... 続きを読む
議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 - 鳥籠ノ砂
2013-02-13 議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ最後の共著であり、その思想の総決算とも呼ぶべき『哲学とは何か』(1991)は、タイトルが示すとおり、「そもそも、ドゥルーズとガタリは哲学をどのように捉えていたのか」について教えてくれる。一言で言うとすれば、彼らにとって哲学とは「概念(コンセプト)を創造すること」らしい。《こうし... 続きを読む
全体への道、個への道 ――TVアニメ『アイドルマスター』論 - 鳥籠ノ砂
2013-01-16 全体への道、個への道 ――TVアニメ『アイドルマスター』論 「961プロダクション」の社長である黒井崇男は、「765プロダクション」の社長である高木順一朗に「負けを認めたわけではない」と吐き捨てて去っていく。これが単なる遠吠えではないとすれば、いったい物語終盤のどこに彼の勝機があったのだろうか? TVアニメ『アイドルマスター』(原作:バンダイナムコゲームス)は、「765プロダ... 続きを読む
果たして「他者」はどこにいるのか? ――『シュタゲ』と『クオリア』 - 鳥籠ノ砂
『シュタインズ・ゲート』は、その物語から『紫色のクオリア』と比べられることが多い。どちらも、大切な人が死んでしまったために、主人公がタイムリープを繰り返してその人を救おうとする点が共通している。『シュタゲ』ならば岡部倫太郎が椎名まゆりを、『クオリア』ならばマナブがゆかりを、それぞれ助けようとする。 ところで、しばしば『シュタゲ』よりも『クオリア』の方がテーマ的に優れているという批評が存在する。す... 続きを読む