はてブログ

はてなブックマーク新着エントリーの過去ログサイトです。



タグ 煬帝

新着順 人気順 5 users 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 users
 
(1 - 7 / 7件)
 

本当のことを言った大臣を左遷した古代中国の皇帝・隋の煬帝 - しいたげられたしいたけ

2020/09/13 このエントリーをはてなブックマークに追加 171 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip しいたけ dot.asahi.com 皇帝 うろ覚え 大臣

このニュースに関連して… dot.asahi.com 中国古代史のエピソードに似たことがあったような、うろ覚えの記憶があった。秦の胡亥か隋の煬帝じゃなかったかなと思って、手持ちの本をちょっと調べてみた。 隋の煬帝のほうだった。 隋の煬帝 (中公文庫BIBLIO) 作者:宮崎 市定 発売日: 2003/03/01 メディア: 文庫 時代背景とし... 続きを読む

煬帝を「ようだい」と読むことに関する覚書 - 略本雑記

2018/11/05 このエントリーをはてなブックマークに追加 182 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip 呉音 ようてい 陳舜臣 覚書 皇帝

1 隋の煬帝は、漢音の「ようてい」ではなく、呉音で「ようだい」と読むのが通常である*1。その理由について、煬帝は悪帝であるため、「皇帝でありながら、その資格はないという意味をこめ」(陳舜臣・中国の歴史*2)たなどと説明されることがある*3。他方、これは特に理由のない読み癖にすぎず、「悪いやつだから帝(た... 続きを読む

煬帝は「日出処」で激怒してない? 遣隋使研究のいま:朝日新聞デジタル

2017/03/06 このエントリーをはてなブックマークに追加 167 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip 天子 日出処 遣隋使 語呂 朝日新聞デジタル

「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」。7世紀、倭国(わこく、日本)の国書を携え、中国大陸に向かった遣隋使。初めて派遣された年や、隋に対する優位感情が国書から読み取れるというとらえ方は変わってきている。 遣隋使は「607(群れなす)船」と語呂合わせで覚えた人も多いかもしれない。しかし、第1回の派遣は、600年という見方が現在では優勢だ。 遣隋使の記録は、「日... 続きを読む

老官山漢墓がすごい - 枕流亭ブログ

2014/01/04 このエントリーをはてなブックマークに追加 15 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip PHOTO 四川省成都市 NEWS http スゴイ

去る2013年は煬帝の墓やら上官婉児の墓やらが出て、中国考古の世界も賑やかだったわけですが、こちらの墓もすごいということで、四川省成都市の老官山漢墓のご紹介です。http://news.xinhuanet.com/photo/2013-12/19/c_125881952.htmhttp://www.wenwuchina.com/news/detail/201312/20/215523.shtmlh... 続きを読む

隋王朝・煬帝の墓と確認 考古学の「重大成果」 - 47NEWS(よんななニュース)

2013/11/16 このエントリーをはてなブックマークに追加 125 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip 副葬品 皇帝 考古学 北京共同 墓誌

【北京共同】中国考古学会は16日、江蘇省揚州市で会見し、同市でことし3月に見つかった二つの古い墓が約1400年前の隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓であることが確認されたと発表した。「重大な考古学上の成果」としている。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。 二つのれんが製の墓は不動産開発の工事中に発見。一つは長さ約25メートルで墓誌のほかに玉器、銅器などの副葬品が100点余りと、50歳前後とみられる男性の歯な... 続きを読む

隋の煬帝の墓が出土 - 枕流亭ブログ

2013/04/15 このエントリーをはてなブックマークに追加 65 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip 出土 晩年 宮殿 華北 最期

ご無沙汰ぶりのブログで、わりとビッグニュースの紹介です。隋の煬帝の墓が江蘇省揚州市邗江区西湖鎮司徒村曹荘で出土したとのことです。↑今回発見の墓揚州市は長江下流域の北岸に位置している古くからの都市ですが、隋のころには江都と呼ばれていました。南朝の文化を愛した煬帝は、たびたびこの江都に来ておりまして、最期を迎えたのもここでのことです。煬帝は江都に宮殿を建てて趣味全開の遊興三昧。晩年に華北の情勢が怪しく... 続きを読む

隋王朝の煬帝の墓見つかる NHKニュース

2013/04/15 このエントリーをはてなブックマークに追加 140 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip 石室 江蘇省 当局 郊外 古代

中国東部の江蘇省で、都市開発の工事の際に偶然、1400年前に大運河を築いたことなどで知られる隋王朝の煬帝のものとみられる墓が見つかったと、地元の当局が発表しました。 中国国営の新華社通信などによりますと、墓が見つかったのは江蘇省揚州の郊外で、都市開発の建設工事の際に偶然、面積が30平方メートルほどの古代のれんがでできた石室2つが見つかりました。地元の文化財当局が調査したところ、石室のうち1つから「... 続きを読む

 
(1 - 7 / 7件)