はてブログ

はてなブックマーク新着エントリーの過去ログサイトです。



タグ ハプスブルク

新着順 人気順 5 users 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 users
 
(1 - 3 / 3件)
 

カルロス2世のWikipedia、競走馬用の血統フォームが使われてる→ハプスブルク家の近親婚は馬でもやらないヤバい血の濃さなのか...

2021/11/20 このエントリーをはてなブックマークに追加 40 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip Wikipedia ハプスブルク家 近親婚 在位 スペイン国王

リンク Wikipedia カルロス2世 (スペイン王) カルロス2世(Carlos II, 1661年11月6日 - 1700年11月1日)は、ハプスブルク(アブスブルゴ)家最後のスペイン国王(在位:1665年 - 1700年)。 フェリペ4世とマリアナ王妃の息子である。フランス王ルイ14世妃マリア・テレサは異母姉、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇... 続きを読む

ハプスブルグ家の呪い。17世紀の王家に見られる独特な顎は近親交配の影響が大きいと科学者が確認(スペイン研究) : カラパイア

2019/12/11 このエントリーをはてなブックマークに追加 9 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip 王家 カラパイア ハプスブルク家 近親交配 呪い

16世紀から18世紀の始めまでスペインを統治していたハプスブルグ家の王や王妃には、特徴的な顔の変形がある者が多かった。のちに「ハプスブルグの顎(あご)」と呼ばれるようになる長くしゃくれた顎だ。 最新の研究によって、この特徴は長きに渡る近親交配の影響が大きいらしいということがわかった。 近親交配が繰り返... 続きを読む

ハプスブルクとオスマン帝国-歴史を変えた<政治>の発明」河野 淳 著

2015/01/21 このエントリーをはてなブックマークに追加 119 users Instapaper Pocket Tweet Facebook Share Evernote Clip 侵攻 疲弊 四方 神聖ローマ帝国 本書

十六世紀初頭から十七世紀末にかけて、神聖ローマ帝国=ハプスブルク家は強大なオスマン帝国の侵攻を撃退し続けた。フランスのように絶対主義体制の構築ができたわけでも、イギリスのように四方を海に守られていたわけでもなく、宗教戦争と度重なる国際戦争で疲弊し分裂した神聖ローマ帝国に、なぜオスマン帝国からの防衛が可能であったのか。その大きな要因として本書は、ハプスブルク家における実証主義的政治の誕生を挙げている... 続きを読む

 
(1 - 3 / 3件)