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人気順 10 users 50 users 100 users 500 users 1000 users9月19日は正岡子規の命日「糸瓜忌」です!: 正岡子規 病牀六尺の青春
みなさん、こんにちは。なんだかんだありまして愚陀仏庵の話が中断したままです。もし興味持ってくださっている方がいらしたら申し訳ないです。また書きます。 9月19日は正岡子規の命日「糸瓜忌」です。子規が亡くなったのは明治35(1902)年。20代で結核を患い、脊椎カリエスを併発し、晩年は寝たきりの生活を余儀なくされた子規はこの日、34歳と11カ月の人生の幕を閉じました。 俳句、短歌etc…多彩な業績 ... 続きを読む
正岡子規は赤福餅の俳句を読んだのか?: 正岡子規 病牀六尺の青春
伊勢土産として有名な赤福餅。つい先日、包装紙に100年以上に渡って使われてきた正岡子規の「到来の赤福もちや伊勢の春」という俳句に裏付け資料がないと指摘され、店が情報提供を呼びかけているとの報道がありました。 朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASK8S777MK8SPFIB00M.html 気になったので愚陀仏庵の話はお休みして、子規が赤福の句を詠んだの... 続きを読む
子規・漱石 愚陀仏庵の52日②松風会が門下に: 正岡子規 病牀六尺の青春
前回に続いて愚陀仏庵のお話です。正岡子規と夏目漱石が同居生活を送った愚陀仏庵は松山の中心部二番町というところにありました。建物そのものは太平洋戦争中に消失しています。旧松山藩主久松家の別荘萬翠荘(松山市一番町、坂の上の雲ミュージアムの近く)の敷地内に復元されていた愚陀仏庵は2010年に土砂崩れで全壊してしまいました。再建しようという話も持ち上がっていますが、どうなっているかはよく分からないです。元... 続きを読む
子規・漱石 愚陀仏庵の52日①失意の帰郷: 正岡子規 病牀六尺の青春
みなさん、こんにちは。いつもご訪問ありがとうございます。今日は8月29日。正岡子規と夏目漱石が松山の愚陀仏庵で同居生活を始めて3日目に当たります。 2人が共に過ごしたのは明治28(1895)年です。27日にツイッターで呟いた通り、そのことに気づいていたのですが、書きそびれてしまって文体診断の話を書いてみたら「そういう話はいらない」と、お叱りを受けてしまいました。「たまに脱線するのは許してよ」という... 続きを読む
子規、漱石、司馬遼太郎…文体診断で文豪の文章を入力してみた: 正岡子規 病牀六尺の青春
「文体診断ロゴーン」を御存知でしょうか。文章を入力すると、名文の中から似た文体を探し出して、どの作家や著名人の文章と似ているかを教えてくれるツールです。文章の読みやすさなども診断してくれます。最近知ったのですが、面白そうですよね。 子規本人の文章でテスト 文章診断。本人の文章だったらどうなるのか。試しに正岡子規の文章を入力してみました。 まずは「墨汁一滴」から好きな文章をピックアップ。 ガラス玉に... 続きを読む
やっぱり俳句甲子園は面白い!: 正岡子規 病牀六尺の青春
開成が2連覇 8月19、20日の両日、松山で開かれた20回目の俳句甲子園は、開成高校の2年連続10度目の優勝で幕を閉じました。ネット動画などで一部を久しぶりに観戦しただけですが、面白かったです。 開成高校おめでとうございます。同校の岩田奎選手の作品「旅いつも雲に抜かれて大花野」は最優秀にも選ばれました。ディベートでも大活躍だった彼。表彰式で涙を浮かべている姿がとても爽やかでした。 「開成は言葉余り... 続きを読む
俳句の日に子規俳句を考えた: 正岡子規 病牀六尺の青春
美術の概念を文学に 子規の俳句と言えば「写生」のイメージが強いですね。子規の写生論は美術の概念を取り入れたものです。子規が西洋美術の写生、いわゆるスケッチの概念を知ったのは明治27(1894)年。知人の画家中村不折に教わりました。 写生散歩 子規は、この年の秋の終わりから冬の初めにかけて、手帳と鉛筆を持って毎日のように根岸郊外を散歩し、句想を得ては手帳に書き付けました。当時のことをこう振り返ってい... 続きを読む
元祖野球狂の詩 正岡子規とベースボール②用語を翻訳 普及に貢献 : 正岡子規 病牀六尺の青春
夏の全国高校野球は8日に延期になりましたが、 正岡子規とベースボール の続きです。野球の普及に対する子規の貢献と言えば、用語の翻訳やルールの紹介をしたこと点が挙げられます。2002年に野球殿堂入りしたことで詳しく知った方も多いのではないかと思います。 スポンサーリンク 母校の快挙に発奮 前回書いたように学生時代にベースボールに打ち込んだ子規は明治23年に一高を卒業、帝大に進みましたが26年3月に中... 続きを読む
元祖野球狂の詩 正岡子規とベースボール①: 正岡子規 病牀六尺の青春
夏の甲子園開幕があさってに迫りました。今年も球児の熱い夏が始まりますね。さて正岡子規と言えば野球。よく御存知の方も多いと思いますが、子規を語るには避けて通れないテーマですのでお付き合いください。まずは野球に熱中した子規について書いてみました。 スポンサーリンク 日本に野球が伝わったのは子規が数えで5歳の明治4年(1871)年。米国人ホーレス・ウィルソンが東京開成予科で教えたのが始まりとされています... 続きを読む
御存知ですか?書籍の検印制度 文豪たちの地味で重要なお仕事: 正岡子規 病牀六尺の青春
不正防止のため一冊一冊に押印 これは、明治時代に近代的な出版制度が整えられていく過程で出来たシステムで、出来上がった本の著者が制作部数を確認するために用紙に印を押し、用紙を貼り付けていました。出版社が著者と取り決めた以上の部数を発行して不正に利益を得ることを防ぐためのものでした。当時の地方では東京などで発行された書籍をコピーした廉価な海賊版が出回ることもあったようで、検印は正規に発行された本の証明... 続きを読む
子規の短歌③のぼさんが立った!寝たきり歌人正岡子規のチャレンジ: 正岡子規 病牀六尺の青春
歩けるならエベレストに 子規は明治28年、日清戦争の従軍記者として現地に赴き、激しく病状を悪化させました。松山などでの療養を経て俳句革新に取り組んだのですが、翌年から寝たきり生活を余儀なくされました。いわゆる「病牀六尺」の暮らしです。 それから4年。体調の良い時には人力車で出かけることもありましたが、前年に詠んだ「足たたば」の連作を見ても分かるように子規は自分の足でもう一度立ってみたいという思いを... 続きを読む
文アルで学ぶ子規と鴎外: 正岡子規 病牀六尺の青春
みなさんこんにちは。今日で文アル3日目。文豪は6人増えて27人となりました。中でも森鴎外が加わったのは嬉しかったです。だって鴎外がカッコイイから!…ではなくて子規との絡みがゲーム中で再現されるに違いないと楽しみだったんです。 戦地で出会った子規と鴎外 新聞「日本」の記者だった子規は明治28(1895)年4月、日清戦争の従軍記者として金州(現在の大連市金州区)へ赴きました。しかし子規が上陸した2日後... 続きを読む
文豪とアルケミスト始めちゃいました!: 正岡子規 病牀六尺の青春
みなさんこんにちは。ずっと気になっていたオンラインゲーム「文豪とアルケミスト(文アル)」をとうとう始めてしまいました。2016年11月1日にDMM.comがリリースしたゲーム。スマホ版もリリースされたということもあり、昨今の文豪ブームに乗り遅れたままではいけないと一念発起した次第です! スポンサーリンク 世界観 知っている方には釈迦に説法ですが、説明も交えつつレポしていきます。近代風情が長く続く「... 続きを読む
子規の短歌①妻子らとむつみかたらふ夢さめて砧うつ音旅にしありけり: 正岡子規 病牀六尺の青春
子規の短歌を初めて取り上げます。明治32(1899)年7月2日の子規庵での歌会で出された歌です。出席者は子規のほか、河東碧梧桐、香取秀真(ほつま、鋳金工芸作家としても著名)ら7人でした。 有名な作品を取り上げようか迷いながら「竹乃里歌」と歌会稿を収めた全集の六巻をパラパラとめくって夏の歌をあれこれ見ていたら目に止まったのがこの一首です。 スポンサーリンク 子規のあこがれ 子規が妻や子供と語らう夢を... 続きを読む